「学び」の構造

どんな子どもに育ってほしいか考えている親とか、中学高校で勉強する意味を考えている青年とか、社会人になって学ぶことを忘れてしまった人とか、科学信奉者とか、にお勧め。

メモ
・学べない人間の価値観
 1*勉強作業として捉える作業的学習観
 2*考えることをうまくやる方法と捉える方法的学習観。
・わかる ためには経験をとうさなればならない。
・今、人の頭のなかにある長期記憶をどう活かして使いまわすか!ということがUIに課された使命。頭の中のものを概念モデルといったり、長期記憶といったり、文化といったり、嵯峨といったり。
・わかる とは、わからないところがわかることである。
 わかる とは、絶えざる問いかけを行うことである。
 わかる とは無関係であったもの同士が関連づいてくることである。
 わかる とは、死に至るまでわかり続けることである。
判例法であるアメリカやイギリスは、自分らの判断が基盤となる。制定法である日本やヨーロッパは、誰かが決めたものという意識を持たせる。これが道徳観に影響を与える。
・常に根源を問うという精神的風土か、問わずに先例に従うという精神的風土か。で、学びが変わる。
・いやいやえん
・子どもは罰を避けるために善を行うのではない。子どもは恐れているのではなく、一つのルールを知ろうとしているのだ。社会で生きていくためのルールを。
・不平等、えこひいき、ルール違反にも幼児は敏感に怒る。自己中心的な欲求が満たされないときは当然怒る。
・心情とは、人間の認識の一貫性の状態、統合されたシステムの状態が表出したもの。
・感動から教育しても良い。しなくても良い。必要なことは、一貫性を高め、広げる姿勢であり、本当にわかるということ。
・心情は、我々の一貫性を広げていくきっかけであり、窓口であるべき。
・教育の現場では科学的、機械的な目標の明確化ができない。なになにの概念を理解させる ではアウトプットとなるもの例えば行動や姿勢が見えず、評価もできない。
・生徒のわかった状態を判断するには、例えば、、、という例えばなしができるかどいかが一つの基準にできる。というかそれくらいしかない。例え話は、尽きることなく何処までも深くわかるほど例えれる。
・学習者の自発性とは、学習者が正しく学びを進めている状態のあらわれであり、自発性だけが有ったり無かったりするものではない。
・教育の科学化は、科学の教育化を意味しなければならない、人間の科学化は科学の人間化として進めなければならない。科学は単純化の方向だけでなく広がる方向へ、人間臭い方向へも進むべき。
・学びのステージ
 1*覚えろと言われたものを覚えるだけ
 2*自主的に選択的に覚える、試験勉強
 3*目標は定まらないが、目標自体を探す知的好奇心の芽
 4*自分なりに納得いくだけでなく、他人からも正しいものを吸収
 5*他人との矛盾があったときに解決、解消しようとする
 6*あらゆる可能な他人を自分のなかに想定し、矛盾を超える新しい一貫性を創る
・サカナは水を発見する最後の動物である。 サカナを一度陸にあげてみる。そのときの陸とはなにか、何の目的であげるか、いつあげてみるか。
・学ぶための問い
 1*前提を問う
 2*アタリマエを問う
 3*意味を問う
 4*関連を問う
 5*役割を問う
・科学が人々を不幸にしているならば、科学のなかから、それをなおす以外にない。
 技術が人々を疎外し公害をうんでいるのならば、技術のなかから、それをなおす以外にない。
 企業が人々を欲望に駆り立て破滅に導くというのならば、企業のなかから、それを改めていく以外にない。
 政治が人々を支配し、人々の苦しみに目を背けているならば、政治のなかから、それを変革する以外にない。