「みんな違ってみんないい」のか?

 

「自由と平等は、民主的な価値観の基本で、尊重しなくてはならない。が、両者は矛盾する。人々が自由に振舞えば、平等は失われ、人々を平等にしようとすれば自由を制限しなければならぬ。両立させるには、常に繊細なバランスをとり続けなければならない」

 

正しさは個々人が勝手に決めて良いものではなく、それに関わる他人が合意してはじめての正しさになる。 「正しさは人それぞれ」でも「真実はひとつ」でもなく、「正しさはみんなで作っていくもの」

 

 

リチャード・アレクサンダーの間接互恵の理論

単なる互恵は、相手が良いことをしてくれたら、良いことで返す。悪い相手には悪いことで返す。

間接互恵とは、直接的な見返りが期待できない人に親切にすることで、社会のなかで評判が良くなるので、結局のところその人の利益になる。ということ。

 

「正しさは人それぞれ」。私はこうした言葉を聞く度に背筋が寒くなる。こうした言葉は、より正しいことを求めていく努力をはじめから放棄している。こうした言葉を吐く人たちは、例えば、私が何も悪いことをしていないのにガス室に送られそうなとき、決して助けてはくれない。

 

マルクス・ガブリエルの実在論

存在はそのコンテキストに応じて多様な現れ方をするが、その多様性それぞれに実在性がある。

人それぞれ知覚が違うのだから、究極的にはその実在も違うはずなのに、なんで指は5本なんだ!

意味の場に現れたものが、その意味・コンテキストにおいて実在するように感じるの?だとか。

でもその意味自体が人間が作り出した体系であるのだから、実在も人間が作り出すもの(出したもの)になるはずだ!

例えば、物理学や数学だってその意味を作り出した(独創した)から存在する。

その存在の上に、真実としてみなしたものが立脚している。

ふむ。

 

「みんな違ってみんないい」のか?  山口裕之著