身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ

ざっと読み。認知科学者の経験主義回帰。


memo
・認知とは、心的表象である。
認知科学の概念チャートはおもしろい。
・世界はいかにして存在するか、我々とはなにか、我々はいかにして世界を知るようになるか そう、この問いに答えを!
・この本、エナクティブ行動化認知科学は、西田の純粋経験論と似ているかも。
・ブレンターノ→弟子がフッサール→多大な影響を受けたメルロポンティ
・心を沈め抑えること〜止
 洞察を深めること〜観
・身心問題は、理論的に詰めてもダメ。デカルト思考ではダメ。心と身体全体を動員する体験として扱うべし。理論的なことはこの体験に関する反省でしかない。
・主体と客体、主観と客観、内と外との関係に関するテーマ。おもしろそうだ。
・信念や欲望、意図の原因を物理的変化といかに結びつけるか!これが認知主義者の考えること。
・原因と結果
 車が動かなくなったら故障の原因になった場所を探して修理するだろ。病気になったら原因を探して治療するだろ。それが人の意図や信念や欲望や創造、意識にも当てはまるのか? 結局、原因と結果はループしてて生物だけは何故か上手く自己組織化、自己運営できてる。ループが意識できないほど速いのかも。それが立ち上がったものが意識として見えているだけ。見えないところで、高速ループ?
五蘊のカテゴリー 仏教は深い。このカテゴリーはデザイン言語に使える。
 色蘊:身体 身体と物理的環境のこと。感覚器官を通した物理環境のインプット
 受蘊:感受作用 快・不快の感受、感情。快を求め、不快を避ける
 想蘊:表象 何か特別なことが起こった瞬間の認識、識別、初動行為行蘊:形成作用 考える、知覚する、そして行動するときに伴う自信、強欲、怠惰、心配など継続的思考パターン。
 識蘊:意識 ほかのすべてを含む。心的経験。
・パパートとミンスキーが言うように、心をひとつの社会として見るとどうか。一つ一つの機能制限されたエージェント(絵しかかけない岡本太郎) がどのようにふるまい周辺と作用するか。これは記号論を一つ下の階層に持っていっただけ?
・どうしてプロセスは分類しにくいのか?原材料から最終製品へのプロセスのように、脳が最終思考をつくるプロセスを語ってもしようがない。それより脳自体が変化してしまうプロセス。自己変化プロセスはもっとわかりにくく、重要。
デカルト的に、主観と客観、見るものと見られるものを分けて考えてしまう概念がジャマ。中道に光あり。
・感覚と運動、知覚と行為は、不可分。ループである。養老さんもそんなことをいっていたな〜。
ニヒリズムと客観主義は深いところで結びついている。ニヒリストは世界を究極客観視している人。貴重ではないか!