動物の行動から何を学ぶか (1974年) (講談社現代新書)

何のため、誰のためという問いかけは、常に動物の世界を外から把握しようとするもの。ではデザイナーの何のため、誰のためと問いかけはユーザーの外から眺めているんだ。入り込む必要があるということ。

メモ
・モーションに見える生理学実験 融合視とか臨海融合頻度とか。人間の場合、毎秒3から60回。PCの動画が15回で、映画が30回だったかな。
 ミツバチは250回。クロハエは265回。
・昆虫や動物からみる世界を、映像や写真で紹介しているものがあるが注意!目の構造からすればそう見えるかもしれないが、虫や動物が脳でどう処理しているかは別。人間の脳で見てもわからない。
・関門効果 関門作用 警官が人ごみで泥棒を追跡するとき回りは景色と化す。カクテルパーティ効果みたいなもの?
・思考の関門作用という考え。パラダイムに近い。それを逃れるすべはわれわれが常に無限に謙虚であること。
・破壊された環境を回復するために動物ね行動からなにかを学ぶのではない。環境を破壊した元凶を学ぶのだ。人間の理解のために動物の行動を学ぶのでもない。自然の壮大な美しさを学び、それに無限に謙虚になることを学ぶのだ。
・動物の保護色や警戒色は、おもいあがったヒトという生物から真理を隠す保護色であり、何もかもわかると傲慢なヒトから真理を守っているのかも。お〜、パラダイムが見えた!
・ネコ科のライオン、三毛猫は帰納的な思考で形づくられたに過ぎない。
・科学は全体が部分より成るという考えが論理的と、安易に考える。部分を捉えれば自と全体が掴めると。だが生物は、まず全体があって、そこから部分が規定され、全体から逸脱することのない部分のように思える。オートポイエーシス
・純粋の客観というものはありえない。