動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

ユーザビリティ評価のときに若い被験者が言ったな。「このメニューの何処から行っても目的の画面に行くんだろうと思った。」って。これ極めて現代的思考。階層ではなく表層でありデータベースであり、大きな物語を捉えようという意識さえない。

メモ
・九鬼の粋の構造は、オタク思考だと前から思っていたが、やっぱりそう思っている人がいた。
・オタクはこわがりなのかも。神経質でこわいから先をみようと想像を膨らます。 こわい、危険を察知してる人こそ、未来を救う。
・大塚の物語消費論に頼りすぎ。しかも物語消費はオタクに限ったことじゃない。司馬遼太郎だって金八先生だって、物語消費だ。
・細部を知っている→細部で他人と盛り上がれる→シミュラークル体験→もっと細部で盛り上がる の循環では?
・キャラクター、萌え要素 は記号。細部に繋がるための糸。
・無意味なものとわかっていて意味を見つけるシニシズム
・戦後資本主義の大きな物語ポストモダンとの基本的な関係性
・物語や小説で、偶然を楽しむということは、人生の一回性を楽しむ感覚と大差ない。矛盾しない。
・動物って、ヨーロッパ人がみたアメリカのことか。いまさら語らんでもよかろうに。
・ケジェーブ 動物は欲求をもつ。満たされれば満足する。対して、人間は欲望をもつ。満たされることがない。自己実現の話と一緒だな。
ガンダムからデ・ジ・キャラット
 物語消費からデータベース消費へ
 部分的なポストモダンから全面的なポストモダン
動物化って言ってるのは、アメリカ型消費社会+閉じた世界で欲望を満たす、他人と関わらずに満たす人間を言っている。
ユーザビリティ評価のときに若い被験者が言ったな。このメニューの何処から行っても目的の画面に行くんだろうと思った。って。これ極めて現代的思考。階層ではなく表層でありデータベースであり、大きな物語を捉えようという意識さえない。
一橋大学 ねそべって遠くね建物をみると視覚の記憶が目覚めるみたい。 昔はこんな視点から遠くのものをみていた。遠くで音響が聞こえる。これも耳が何かを回復してるみたいだ。眼がむずがゆい。