競争社会をこえて―ノー・コンテストの時代 (叢書・ウニベルシタス)

競争社会を超えて
小学生のとき先生にあてられるのが嫌で手を挙げなくなった。先生に気に入られるために手を挙げているようで嫌だったのかなと思い返していたのだけれど。もっと深い気持ちだった。みんなと競争するのが嫌だったんだ。そして打ち負かしたとしても何も得ないと悟った気分になっていた。この気持ちはいまでも引きずっている。



メモ
・不幸な緊張状態の最も極端な例は、それと意識しないままに個人がランク付けされ報酬が与えてられる状況。
・調和のとれた全員一致の世界が実現されるのはごく稀。目的が個人を切り捨てるのではなく、互いに補完しあう場合のみ。→のだめカンタービレSオケを思い出す。
・これからのソフトウェア商売はオーダーメイドで課金するしかない。オープンソースや無料ソフトウェアに対抗するには。googleを敵とみなす。
・競争は避けられないと主張する古典。ロジェ・カイヨワヨハン・ホイジンガ
・教育の現場で協力と競争のどちらを学ばせようとしているか?親はどっちが大切だと思ってる?この現代で。
・生きる営みに必要なのは闘争ではなく平和。
 生態系への適切な統合、自然均衡の維持、入手しうる食料の効率的な利用、もっと子供の世話をするこまと、再生産を妨げる集団内不破の排除、競争に巻き込まれないポジショニング、他人があまり

効率的に利用していない環境の可能性を切り開くこと。
・こどもの教育。
 競争より協力。
 ドッチボールより組体操。
 リコーダーより合唱。
・発展や開発は良いものだとされた時代にはそれを得るための競争が奨励される。
 では、持続が良いものとされる時代になると協力が奨励されるか?
・幼いころから競争を経験しておけば、あとは人生をより効率的に競争することができる。だから子供に競争を教えるのか?
 塾に通わせるのか?親が問われている。そんなCMあったな。
・競争は外的な動機づけとして働く。例えばお金、誉められること。内的な動機づけを無くしてしまう。
 会社の成果管理は競争だね。あいつよりもオレのほうが大きな成果を出したと。声高に叫ばなければならない。これでは協力は生まれないし内的な動機づけも育たない。
・ライバル?いや同僚でしょ
・競争の不愉快さから逃れるためにマラソン大会早かった。
・人を信用できずに銃を持ち歩いている恐怖の塊のような国を信頼することなんてできんよ。
 そういう国になろうとも思わん。いくら便利で豊かであろうと。
・欧米人の考え
 −ひとりの行為はその人の利益やコストに則り行われ、社会はその集合体。自分の利益になると受け入れるならば社会に帰属することを受け入れる。
・日本人中国人の考え
 −集団の幸福が決定の基準
・フレッド・ハーシュ
人ごみの中にいる人はつま先立ちすれば良く見えるようになる。けれども誰もつま先立ちしなければみんなもっと良くみえるようになる。
・本当の個人主義とは自分でものを考え、行動する自由、心の奥底でいだいている価値への献身、他人から非難されたり悪いものをあびせかけられる危険をおかす勇気。自己自足、良心、自立。
私中心主義、勝手ではない。
・競争社会はこうなる。
 あれかこれかから良いか悪いかへ
 我々と彼らへ
 さらに我々と対立する彼らへ