神と科学は共存できるか?

この本に対する違和感。
ローマ法王とかガリレオとか。カトリックとかダーウィンとか。そういう切り口よりもっと大きな枠があろうに。
生きている間に思う気持ち。明日は獲物食い物にありつけるだろうか、雨が降ってくれるだろうかといった明日への不安。これが祈りになるわけで。キリストがいようといまいとそれはかならずある思い。これが宗教観になる。科学的論理が幅を利かせるようになったとしても明日の全てが把握できないかぎり宗教観は滅びない。明日の予報は科学でも宗教でもできよう。
現時点で科学は全てを把握できてないと明らかにしているが、宗教は明らかにしてないぶん期待を持てるもんなのかもね。

要するに科学と宗教は交わる、対立するもんじゃなくて次元の違う論理で成り立ってる。科学が支配してる脳は科学的論理で世界を見る。すると宗教や芸術がうざったく思える。
一般的な日本人は2つは次元が違うことをなんとなくわかってる。中庸という意味で。
デザインの現場ではそれらがぶつかりあって火花を散らす。科学的論理で技術があり、それを使う人間は芸術的的論理で判断するから。そのバランスをとるのが大切。

・マンガ日本昔話と聖書
 宗教は未来に希望を持つためにあり科学は今を良く生きるためにあるんでしょ
・である、は科学市場主義。すべき、は倫理市場主義。