普通のデザイン―日常に宿る美のかたち

普通のデザイン
「普通のデザイン」より「弱さのデザイン」のほうが思想的に魅力を感じる。「弱さのデザイン」は美しいとは何かという問いの一つの解。

メモ
和辻哲郎の風土を語る。座る文化は仏教的で座俗的。歩く文化は動的でキリスト教的で立俗的で砂漠の風土だと。靴を脱ぐことこそ日本人の感覚。
・ウツ空・虚 ウツワ器 ウツロヒ移ろい ウツル写る ウツス映す 固定化されない感覚。
シェークスピアの舞台は遠近観を必要とするので舞台は奥行きと高さがある。対して歌舞伎は一望性が求められ、水平性が重要。
・日本人のデザインはどこまでも広がる水平感覚だ!
・座るから床に手がふれるし、低い視線で庭を眺めて水平の広がりを楽しむ。
室町時代村田珠光から茶室がはじまる。書院造の建築も茶室の発展形。
・物理的な存在は力によって排除できる。が、人の心にねざした認識は消し去ることが難しい。
・あくなき単純化によって真の姿を捉え、変化をあらわすものを配置することによって、さまざまな状況をつくり出す。ユーザーインタフェースに通じる。
・デザインの究極の目標が人間の真の幸福であり人間の心の開放であるならば、それはすべてがら開放される自在な姿にむかわなければならん。
・重い、堅いは自分ではどうにも難しい自然状態。軽い、細かいは自然の弱さを感じる。これが日本人の感覚。
・細かいもの、薄いもの、軽いもの、動くもの、消えるもの、ぼけたもの、澄んだもの、透けたもの、揺らいだものは、はかなく弱さを感じ、そこに美しさをも感じる。
・日本人の基準。真、行、草。真書、行書、草書。厳格、普通、ラフ。
・日本の遊びは、水に浮かぶ、野山を楽しむ、身心を開放する、心を慰める、といった消極的遊び。西洋のプレイとは違う。
アバンギャルドとは、そもそも軍隊の先頭に立って未知の敵と接触する兵のこと。
アバンギャルドとは、古い時代の思考と新たな時代とのギャップをどう浮彫りにすか、それらをどのような方法で変換するかという2つの視点から生まれてくるもの。
・近代化以降、デザイナーの課題
 ・個人の固有性を尊重できるか
 ・地域、民族の固有文化を尊重できるか
 ・歴史に学ぶ・・・
 ・地球規模で考える
エットーレ・ソットサス デザインとはまず人間の行動・思考に関する人類学的考察が必要であり、そのビジュアル表現がデザインである。
・人の心の束縛、ひいては現代社会システムへの依存は、属性への執着から生まれる。例えば社会的地位、貧富、地域、民族、歴史、性別。これらは人間の存在証明であると同時に人を縛るもの。真の幸福、心の開放を願うなら属性から開放するか?



知の編集工学 再読20070922

・フェルディナン・ド・ソシュール 二項対立思考を否定する言語学者。おもしろいかも。
・学習とは、学習したい欲求を満たす舞台設定が必要。舞台は庭とか机とかノートとか。そこで対話しながら学習する。
・先に文法があるのではなく、先に文節がある。文節力が文法を、世界を理解させる。
・先に生命があったのではなく、先に情報があって、それを維持保護するために生命という様式が考案されたんだ。