世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

著者がお薦めするように、9章から12章まで読みました。

メモ
・友人と気が合うか合わないかは、つまるところ「ユーモアの質が同じかどうか」で測っているのかも。
・小さい頃の記憶が写真の断片から派生していること、例えば運動会や旅行の記憶はあるけれど日常の記憶はあまり残っていない。これは写真で家族と会話した記憶が自分のエピソード記憶にすべり込んできているのかもね。
・人が記憶すると考えるのではなくて、場に記憶される。行為という場に記憶される、システムという場に記憶される、と考えてみると。建物や日用品や家族や社会があるから脈々と世界が続くんだ。電車を見ていろんなことを思い出すように人それぞれ思い出すことは違うけど、それをまとめた電車が電車であり、世界だ!みたいな。
・聞く、話す、描く、読む、書く 子どもの行為が重要。
・人は世界との関わりから生まれた身体性に基づく"感じ" に言葉を与える作業をやっている。経験論って言うのかな。
・言葉は近似値だ。言葉に先行してあった考えは、もともと読む行為と体験をベースにしている。書いて杭を打ってみてもそれはいい加減なもの。書いたものを保証するのは読んだものの質と体験の組み合わせ。
・人は見えるが 見るに先行するように、部分から攻めるのではなくして全体=世界をまず知るのだ。
・聞く、話す、描く、読む、書く 子どもの行為が重要。その成長過程から行為の重要性を説明してみる。
 赤ちゃんが産まれて、まず「見える」そしてお母さんを「見る」。そして何しゃべっているかわからない赤ちゃん語を「話す」。そしてなんだかわからないものを落書き「描く」。そして読むことを覚え、書くことを習う。
・ただしゃべっている、ということの普通さ。それがケータイやテレビ電話やブロクに欠けていること。Twitterみたいな即時性のあるものはただしゃべっているのに近いけど、まだ欠けている。なんか話そうと意思が働いて実行するし。独り言とか醤油取って!とか言うレベルの自然な会話がベスト。
ライプニッツ なぜなにもないのではなく、なにかが存在するのか。
 ウィトケンシュタイン 神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである。
 科学は、それで?それで?に細分化で答えを出す。がそれで世界や精神はわからない。