善の研究 (岩波文庫)

日本初の哲学書。物質とは、精神とは、意識とは、意志とは、思惟とは、実在とは の上に成り立つ善、愛、宗教。

メモ
・要するに経験の意味とか判断とかは他との関係を示しているに過ぎない。経験者の内容を豊富にするのではない。
・意味とか判断とかを生ずるのは現在の意識を過去の意識に結合するために起こるもの。
・判断が訓練によって洗練すると、その統一が純粋経験の形になる。例えば技芸を習うときはじめは意識的だが、熟達すると無意識になる。暗黙知となる。
純粋経験、心像、思惟、
・知覚にも正しいとか誤るということがある。すなわちそれはある体系よりから見て、その目的に合うことが正しく、反すれば誤り。つまりはその体系の中にには意味があるのみであり、思惟の体系は知識的。純粋経験と区別できる。
・意志は意識統一の小要素。理性はその深遠なる要求。
・学者の新思想も美術家の新理想も知的直感による。知的直感は知覚と同じく意識の最も統一せる状態。
・知的直感は主客合一、知意融合。物が我を動かすのでもなく、我が物を動かすのでもない。ただ一の世界、一の光景あるのみ。
・天才の直覚も凡才の思惟と変わらない。量において異なるのであり、質において異なるのではない。
・意識現象が唯一の実在である。外界にある物が実在ではない。物は意識現象あってはじめて知覚される。唯物論ではなく、唯意識論、唯脳論
・擬人的説明はずっと昔から人間の説明方法であって、今日でも子どもへの説明は擬人が多い。
・真の実在は常に同一の形式で現れる。まず全体が含蓄的に現れ、そしてその内容が分化発展する、そして分化発展が終わった時実在の全体が現実化し完成する。
・意志は、まず目的観念があって、これを実現する適当な観念体系が組織され、組織が完成すると行為となり、ここに目的が実現し、意志が集結する。
・真の実在が成立するためには、統一と相互矛盾が必要。赤が赤でない色に対して、働く者が受ける者に対して成立する。統一があるから矛盾があり、矛盾があるから統一がある。
・最も有力な実在は種々の矛盾を最も良く調和統一した者。
・実在は一。対立する者があるから二であるがそれは統一された者だから合わせて一。つまり一の分化発展、小より大に、浅より深に分化発展する無限。これって還元図に似ている。
・精神現象は統一的方面即ち主観の方から見たもの、物体現象は統一せらるる者即ち客観の方から見たもの。二つあるのではなく見る方が違うだけで実在は一つ。
・我々の主観的統一力と自然の客観的統一力はもとは同じ。例えばよく動物の生理器官や動作の根本を理解するためには自分の情意で直覚する。情意がなかったら理解できない。つまり客観的に見れば自然の統一力、主観的に見れば自分の情意の統一。これ同じ。
・我なき者即ち自己を滅ぼせる者は最も偉大なる者。
・我々の欲望は大なる統一を求めて起こるので、統一が達成された時が喜びとなる。自己愛より他愛のほうが大なる統一。だから他愛のほうが平安と喜びを感じる。そして宇宙の統一なる神が活動の根本となる。神は無限の愛、喜び、平安である。
・科学者は物質統一力を本とし、西田は意志をもって本とする。物質も意志をもっていると。この二つは同一の両面。
・自由にできるというのは単に自己の意識現象。種々ある観念をいかに分析しいかに総合するかが自己の自由。しかし自己の観念の外にはこれを支配する一の力がある。
・人間は動機の原因が自分の内面から出た時に最も自由と感じる。
・自由は自然法則で偶然に働くから自由であるのではなく、自己の自然に従うが故に自由。理由なくして働くから自由であるのではなく、よく理由を知るが故にに自由。
・善とは何かの倫理学 合理説、快楽説、活動説。
 合理説は主知説とも呼ばれ人の善悪は幾何学のように従わざるをえない理に寄る。先天的に知るもの。
 快楽説は意志は全て感情から生ずる事実から発する。快を求め不快を避けるのは動かしようのない事実。利己的快楽説と利他的快楽説があるが二つとも大なる快楽を求め、究極には利他的快楽は利己的快楽に帰する。他人が救われたことを自分が感じるから。
 活動説は内面から生じる意志が求める理想、言い換えれば意志の発展完成である。
・「アリストテレス」人生の目的は幸福である。
・自分の欲求を満たすために行動、活動し意志から生じた理想を実現すること、これが幸福である。
・快楽とは幸福とは似て非なるもの。
・知覚、感情、衝動が意識現象となる。それが内面的統一が働いて意志が生ずる。意志は理想を作り、それに向かって活動する。目標が完了すると幸福となる。これが自己確立、自己発展。
・善とは自己の発展完成である。
・善は即ち美である。
・善の概念は実在の概念と一致する。一への統一力が実在の根本形式であり、精神も自然も宇宙もこの形式で成立している。善も同じで実在の形式に従うものであり、内面的統一力であり、実在の統一力である。
・「プラトー」 調和が善である。
・「アリストテレス」 中庸が善である。
・「スペンサー」 善は種々なる能力の平均である。
・観念活動が精神の根本的作用。観念活動から生じる欲求を満足するのが善。観念活動とは即ち理性。つまり理性の満足が最上の善。
・人の人格は、この観念活動、理性、意識の統一力にほかならない。
・人を欺くのが悪なのは、それにより起こる結果によるのではなく、自己の人格を否定するが故に悪である。
・善行為は愛である。愛は自他一致の感情であり主客合一の感情。
・健康、知識そのものは善ではない。我々は単にこれで満足はしない。個人において絶対の満足は自己の個人性の実現である。
・偉人は高いところに登って呼び遠いところまで達する。それは声が大きいのではなく、立つところが高いから。
・知識と衝突してしまうような信念ならば、これをもって生命の本となすことはできない。うちなる信念によって知識や意志が支えられている。
・空間も時間も物体も皆直接経験の事実を統一説明するために設けられた概念に過ぎない。物体によって精神を説明しようとするのは本末転倒。
・直接経験の事実は主客の区別なく、精神物体の区別なく、物即心、心即物。
・花と自分が一致して花を愛する、親と子が一致して親子の愛情が生まれる。共感以上のもの、一喜一憂。一なる統一。知は愛、愛は知。他愛は一なる統一に向かう。
・我は神を知らず、ただ我神を愛するまたは信ずという者は、もっとも神を知っている者。