タオ自然学―現代物理学の先端から「東洋の世紀」がはじまる

ニューエイジサイエンス。精神と物理、宗教と科学を結合させた本。

ソクラテスは言う「自分が何も識らないことをわたしは識っている」老子は言う「識って識らないのが最上である」
・科学に見られる合理的知識は日常の事象や経験を、区別、分割、比較、測定、分類することである。
・仏教では、区別や分類に基づかないあるがままの体験からの知識を般若という。老子は究極のリアリティを道とよび、「道が語りうるものであれば、それは不変の道ではない」と。
・物理学者は合理的知識に関心を示し、神秘思想家は直感的知識に関心を寄せている。
・科学が発展するときの直感は、机に向かって思念を凝らしている時より、風呂につかっている時とか、森や浜辺を散歩している時にこそ得られる。
・数学は自然を記述するための単なる言語ではなく、自然に固有なものだという数秘思想の創始者ピタゴラスは「万物は数である」と言った。
・中国の禅宗では、悟りとはまさに「道を観ること」とされる。
・物理学者も神秘家も実験や瞑想の訓練を重ね、世界の本質を究めようとする努力に変わりなく、その結果は努力の記録である。
・踊る神と物理の理論は、ともに人間の心の産物であり、それを生み出した人間のリアリティに対する直感的な理解を表すモデルである。
・タオ 宇宙のプロセス、つまり自然の摂理のこと。儒教はヒトのタオ、または世のタオを語る。
・自然の産物は物であれヒトであれ、「往来」「伸縮」という周期な動きを繰り返す。中国人は、状況が極限に達すると必ず正反対の方向に逆戻りすると信じている。
・陽が極まれば陰にその場を譲り、陰が極まれば陽にその場を譲る。
・タオは善悪の相対性を認め、全ての道徳が相対的であることを知っている賢人は、善のみを究めるのではなく善と悪のバランスを維持しようと努める。
・禅とは平常心、つまり日常の体験である。
・究極不可分のリアリティをヒンドゥ教ではブラフマン、仏教ではダルマカーヤ、道教ではタオと呼んだ。日常我々は万物の合一性にきづかづ、世の中を個々ね事象に分けてしまう。物を分別する知力が生み出した抽象概念である。
・現代物理学が明らかにしてきた原子、分子、素粒子もまたそれぞれに関係しあい、相互依存した世界。
・ボーア「分離された粒子は抽象概念であり、粒子の性質はほかの系との相互作用を通してはじめて定義、観測できる。」
プラトン 「神は幾何学者だ!」
幾何学は人間の知性が作り上げた幻想。相対性理論がそれを認識させた。
ブッダ「過去も未来も、空間も、個体も、ただの名前であり、思考の形態であり、慣用語であり、表面的なリアリティに過ぎない。」
・私達は常に8分前の太陽を見ている。
・物体はその運動方向に縮む 球形は楕円になる 運動している時計は時間の刻み方が遅くなる 心臓の鼓動も遅くなる 双子の一人が高速宇宙旅行に出かけて帰ると相手より若い。
・色即是空 空即是色 空とは場、エネルギーのこと。色は物質のこと。対立概念を一つの世界に融合する考え。
・生成と消滅のダンスとかエネルギーのダンスという表現を使う物理学者は多い。地球上であろうと宇宙であろうと絶えまないコズミックダンスのうちにある。
・粒子に関する対称性は相互作用のなかの保存法則という形で現れる。対称性があるとなにがしかのエネルギーの保存法則が生まれる。
・東洋では、対称性も幾何学と同様に自然の性質というより人間が作り上げたものと考え、本質的に重要でない。東洋の芸術では、非対称が好まれる。禅の影響を受けた日本、中国ね絵画、不規則に配列された日本庭園の敷石。
・ブーツストラップ哲学 自然は素粒子とか基本的場のような実在には還元できない。構成要素が互いに相互作用し、自己調和したものである。S行列理論に由来する。
・それぞれの中に全てがあり、全ての中にそれぞれがある。 これを大乗仏教では無碍むげという。
老子 識る者は言わず、言う者は識らず